大判例

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東京高等裁判所 昭和36年(う)2503号 判決

被告人 新井貞男

〔抄 録〕

論旨として詳述するところは要するに本件につき被告人を無罪とした原判決は、事実の認定を誤つたものであるから到底破棄を免れないという一点に尽きる。

よつて審案するに、原判決が被告人を無罪とした理由は、結局本件事故発生当時の状況の下において、自動車の運転者に対し、起訴状記載公訴事実にあるような業務上の注意義務、即ち一時徐行して、前方左右を注視し、横断者等を早期に発見し、安全に急停車して事故を未然に防止すべきことを要求することは、高速車たる自動車の機能を失わしめることになるので、客観的に見て、そのような注意義務を期待するのは酷であると解するのが相当であるから、本件結果の発生について、被告人に過失の責を負わしめることはできないという趣旨に帰着する。

そこで本件記録及び当審における事実取調の結果を併せて、本件事故現場の模様及び事故発生当時の状況を考察すると、本件事故現場は行田、熊谷間の二級国道と旧熊谷街道とがY字形に交差する変形交差点附近の行田市大字持田六四六二番地先の国道上であつて、右交差点附近の道路幅員は最大約一五米であるが、同所より東方即ち行田寄りで約一〇・六米、同所より西方即ち熊谷寄りの、現場より稍西方で約八・三二米の幅員があり(両側にいずれも幅約三五糎の側溝を設ける)、右旧熊谷街道に沿つて流れる小川と国道が交差する個所に西浦橋が設けられているが、その橋の部分も含めて路面はすべてアスフアルトで舖装されているため平坦で起伏はなく、また現場より行田方面に約五〇米の地点で、行田市立西小学校の正門入口(国道の南側)前方の国道上には白色塗料をもつて学童横断歩道が明示されており、本件事故当時には右横断歩道上に移動式の「徐行学童横断中」と書いた小型標識が二本立つていたのであるが、右横断歩道から事故現場方面を望むと国道は前記西浦橋の西寄り南側に在る田口菓子店の先きで稍左方に緩く曲つているが、同店までは直線でその間の見通しは充分であるのみならず、同店の前は前記小川に臨んでいる関係上、その間に特に視界を遮る物がなく、同店の東に面した出入口から国道までの約三米の道路の部分まで容易に且つ明瞭に見通すことが可能な状況にある。そして本件事故は、昭和三五年一二月一四日午後二時五分頃被告人が小型自動四輪車を運転し、行田方面から熊谷方面に向つて時速約四五粁で前記国道を進行して来たところ、前記小学校前の学童横断歩道上に右小型標識のあるのに気付き、一旦自動車の速力を時速約三五粁位に落したが、右学校前を通過すると再びその速力を元に復し時速約四〇粁ないし四五粁で進行中、本件事故現場において、前記田口菓子店で繩飛び用の繩を買つた被害者の大渕茂(当時四年)が、同店を出て右国道を左(被告人の進行方向から見て、以下同じ)から右に斜めに横断しようとして国道上に走り出た姿を、その数米手前まで接近して初めて発見し、急遽ハンドルを右に切ると同時に急停車の措置を執つたが遂に間に合わず、車体の左前側部を同人に衝突、転倒せしめて、同人に対し頭部、口唇等に全治約六〇日を要する裂傷を負わせたというのである。そこで事故当時における前記現場の模様に照らして、本件事故発生の原因を究明すると、被告人が一旦減速徐行した自動車の速力を元に復して進行したこともさることながら、被告人が自動車運転者としての前方注視義務を怠つたことが、主要な、しかも直接の原因となつていることは否めないところであつて、被告人において絶えず進路の前方に対する注視を怠らずに進行していたとすれば、国道上はもとより国道から僅か三米位の近距離にある前記田口菓子店の前附近は格別の注意を払わなくても通常の視野に入る状況にあるのであるから、たとえ被告人が一旦減速した自動車の速力を元の約四五粁の時速に復して進行したとしても、被告人の視力には異常がなかつたことが認められる本件の場合、尠くとも前記学童横断歩道を通過した頃には、前記田口菓子店表出入口を出た被害者の姿を容易に認め得た訳であつて、その後の被害者の行動に注意しておれば、同人が自動車の進行して来るのに気付かず、進路前方を横断しようとする行動をいち早く発見し安全に急停車の措置を講じて本件事故の発生を未然に防止し得たことは想像に難くないところである。しかも事故当日は晴天であつたため、前記田口菓子店の日蔭が国道上に延び、被害者の服装が日蔭と紛らわしい黒つぽい色であつたことを考慮に容れても、被告人が早期に本件被害者の所在を発見せず、しかもその後の同人の行動に全く気付かないで衝突の直前に至つて初めて被害者に気付いたことは、当時の状況に鑑み、被告人が自動車運転者としての前方注視義務を尽していなかつたことを優に裏書きするものといわなければならない。そして原判決がいうように自動車の運転者に対し、起訴状に記載されたような業務上の注意義務を要求することが、高速車たる自動車の機能を失わしめることになるからといつて、そのために、自動車運転者の被告人に進路の前方に対する注視義務まで忽せにすることを容認することは到底できないところであつて、被告人にかかる義務を要求することは法律上当然のことと断ぜざるを得ないのである。以上を要するに本件事故の発生が被告人の前方注視義務を怠つた不注意に起因する以上、被告人がその過失による本件刑事責任を免れ得ないことは勿論である。しかるに被告人に本件過失の責任が認められないことを理由に、被告人を無罪とした原判決は、結局事実の認定を誤つたものであつて、もとより右の事実誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は到底破棄を免れない。従つて論旨は理由がある。

(小林 松本 太田)

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